日記
2010年 12月 29日
夏休みの宿題は8月31日に一気に書いていたし、
まず継続しないと成立しないものは何も続かないでいた。
この歳になって、改めて『日記』というものを考えてみた。
当時にせよ、今もそうだが、
日記を書くという意味を見付けることが出来ない。
何のために書くのか?
昔を振り返って、「あーあの時こんなことがあったのかー」とか
「こんなこと考えていたんだなー」などと感傷にふけるためか?
人間は過去を振り返るべきではない。
未来の自分をよりよくするために今を一所懸命に生きろ!
というのが私の美学であるわけで、
そういう意味では、日記はまったく意味をなさないアイテムだと結論付けられる。
しかし、一度意味を持ったものは継続してできるものだ。
例えば、このブログ・・
これは日記的要素はほとんどないので、日記とは呼ばれたくないが、
継続して何かを書くという行為は同じことである。
このブログにはれっきとした意味がある。
①自分のアウトプット作業として
②「気付き」のためにアンテナをはる
③只松建設を世間の人に知ってもらうために
④後輩への教科書的役割のために
このように意味を明確にして書くと、
書きたいことが湯水の如く溢れ出す。
こうなると、止めたくとも止められなくなる。
この何にも継続できない男が続けることができるのだから驚きである。
今、何かを始めたいけど1歩が踏み出せないそこのあなた!
踏み出す前に、それをやる意味を明確にしよう。
大義名分を持つことが行動を変え、運命を変え、
やがて人生を変えてしまう。
やっても続けられなければ何も変わらない。
変えよう!
変えるための意味を持とう!!
P.S.
ブログやけど、日記形式で3行くらいで毎日書いたらどう?
営業マンなりたての心境とか状況を記録していき
就職活動中の若者へ伝えていく・・という大義名分で
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